100周年記念式典が行われました

2021年10月15日(金)、創立100周年記念式典を挙行しました。

100周年記念式典 校長式辞

 紅葉も色づきはじめ、山々に秋の深まりが感じられる本日ここに、群馬県教育委員会教育長職務代理者 益田裕充(ますだひろみつ)様、歴代の校長先生方をはじめとするご来賓のご臨席を賜り、群馬県立渋川女子高等学校創立100周年記念式典を挙行できますことは、私どもにとりましてこの上ない喜びであり、まさに光栄の至りであります。また、本日を迎えるまで、高野尚子(たかのひさこ)同窓会会長をはじめとする同窓会役員の皆様を中心に創立100周年記念事業実行委員会を組織していただき、ワゴン車の寄贈、「渋女百年誌」等の発刊等の記念事業の推進に大変なご尽力をいただいたこと、学校を代表いたしまして衷心より厚く御礼申し上げます。

 本来、この記念式典は、昨年度開催される予定でありましたが、新型コロナウイルス感染症拡大にともない一年の延期を余儀なくされました。未だに予断を許さない状況ではありますが、ワクチン接種も次第にすすみ、好転の兆しが見え始めたところであります。関係の方々の熱く尊い思いに支えられ、感染症予防に最大の配慮をしながら、本日晴れやかに記念式典の開催に至ることができました。改めて皆様方のご理解、ご協力に感謝申し上げます。

 さて、本校100年の歴史を紐解きますと、第一次世界大戦後の好景気に支えられた自由主義・平和主義的な、いわゆる大正デモクラシーの風潮の中、大正九年(1920年)に女子教育の必要性の高まりと地域の方々の熱意によって産声をあげました。当初、県立学校として開校するはずでしたが、経費の問題等により、一度は計画が頓挫しそうなりました。そのような逆境の中、当時の渋川町町長である羽鳥年太郎様をはじめ、初代校長である田部井鹿蔵先生など多数の方々のご尽力により、現在の渋川北小学校の地に、渋川町立実科高等女学校として誕生しました。その後、大正十二年に県立移管され、校名も群馬県渋川高等女学校に改称され、翌十三年には現在の地に待望の新校舎が完成いたしました。さらに昭和二十三年の教育令の改正により、現在の群馬県立渋川女子高等学校と改称されました。同年には、夜間部定時制も併設されましたが、社会環境の変化から、定時制につきましては昭和57年に惜しまれつつ閉校となりました。生徒の定員数は1学級50名でスタートし、昭和の人口急増期には9学級414名となるも、平成に入り少子化の影響をうけ、現在5学級200名となっています。この間、卒業生は26,608名を数え、経済・文化・教育・医療・福祉など多様な分野で活躍し、地域社会の信頼を得て、北毛を代表する伝統校、進学校として確固たる地位を築き、現在に至っております。

 大正、昭和、平成を経て令和となり時代とともに社会はめまぐるしく変化しました。創立期の平和な時代から一変し、戦争の時代へ、兵士の見送りや軍需工場への勤労奉仕等により授業は削減され自由に学ぶこともままならない時代もありました。そして戦後、軍国主義的教育から民主主義的教育へと180度の転換を迫られました。その時代時代の要望に応えつつ、苦難の時代を切り開いて来られた先人たちのご苦労、ご尽力は筆舌に尽くしがたいものがあったと拝察いたします。

 本校の2つの校訓は、終戦から3ヶ月もたたない昭和二十一年十一月、国も占領軍も新たな教育に明確な指針を打ち出せていない中、軍国主義をさらりと脱ぎ捨てるように掲げられました。一つは「道理と真理へのたしかなあゆみ」。平和な社会を構築するためには何よりも公明正大な心を持つことが不可欠です。真理と道理という普遍的な価値を尊重することは平和な社会を実現するに当たり、最も重要な態度であるといえます。そしてもう一つは「勤労と趣味へのゆたかないとなみ」。職業活動を通じて得られる経済的豊かさだけでなく、仕事を通じて社会へ貢献すること、また、趣味や余暇活動を通じて文化を創造し、個性を磨くことは豊かな社会・豊かな心の基盤となるものです。この2つの校訓に掲げられた理念は、現在においても全く色褪せることはなく、長きにわたる教育活動を通して先輩から後輩へと脈々と受け継がれ、本校生徒の特徴である誠実さ、勤勉さ、穏やかさ、物事に対する真摯な姿勢を醸成するに至りました。

 生徒の皆さん、多くの先輩たちが築きあげてきた本校の優れた歴史と伝統を受け止め、渋川女子高等学校の生徒としての誇りと自信を持ちましょう。今まさに、創立100周年という歴史的な瞬間に立ち会う幸せと責任を自覚し、今日を出発点として、新たな時代 に向けて確かな一歩を踏みだしましょう。渋女のこれからの歴史を創造するのは皆さん自身です。そしていつ、いかなる時にも校訓の理念に示されたとおり、社会にそして各家庭に平和と豊かさをもたらす存在であってほしいと願います。

 今日、国際社会ではグローバル化が進む一方で、自国第一主義が台頭するなど排他的な動きもあります。また、大きく経済が発展する一方で、環境破壊が進み持続可能な社会の実現が叫ばれています。さらに情報化の進展はSociety5.0時代をもたらそうとしています。この混迷の時代に求められるのは、複雑な課題に主体的に向き合い、多様な価値観を受容しながら、他者と協働して解決に取り組む力です。皆さんが未来社会をたくましく切り拓いていくため、そうした力をしっかりと身につけていけるよう生徒・教職員一丸となって研鑽を深め、一層努力してまいりましょう。創立100年の節目に当たり、優れた歴史と伝統を継承しつつ、変化の激しい新たな時代に果敢に挑戦し、地域からより信頼され、より愛される学校を目指し、さらに前進することを誓いたいと思います。

 結びになりますが、歴代校長先生を初めとする、旧職員の皆様方のこれまでの多大なるご功績に対しまして敬意を表しますとともに、長い年月にわたり、物心両面にわたって本校の教育活動を支えていただきました群馬県、渋川市、同窓会、PTA、地域の方々に御礼申し上げ、合わせてなお一層のご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げまして、式辞といたします。

 令和三年十月十五日      群馬県立渋川女子高等学校  校長 吉井靖明

創立90周年記念式典が行われました
本校は大正9年の開校以来、創立90周年を迎えることができました。これを記念して、下記により記念式典と記念講演会を行い、無事終了しました。日時:平成22年11月10日(水)会場:渋川市民会館 大ホール○記念式典○生徒発表 ・吹奏楽部演奏 ・コーラス部合唱○記念講演会 講師 大河原真美 様(高崎経済大学大学院地域政策研究科長) 演題 「女だから得すること、女だから損すること」
開会校長式辞同窓会長あいさつ
PTA会長あいさつ生徒代表謝辞校歌斉唱
吹奏楽部演奏コーラス部合唱記念講演会

○90周年記念式典式辞(学校長) 
  榛名の山並みも美しく色づいた今日の佳き日に、歴代の校長先生、同窓会長様、PTA会長様をはじめ、大勢の本校関係者の皆様にご出席いただき、創立90周年記念式典をこのように挙行できますことを、渋川女子高校として心より感謝申し上げます。 同時に、設置者である群馬県、創立者である渋川市、群馬県教育委員会をはじめ、本校の教育にご理解ご支援をいただいてきた多くの皆様にあらためて深く感謝申し上げます。 本校が渋川町立実科高等女学校として小学校の校舎を借用し開校したのは、大正9年(1920年)でした。第一次世界大戦が終わり、ベルサイユ講話条約が成って、世界恒久平和のために、国際連盟が発足した年です。日本も大正デモクラシー、国際協調の時代で、軍事色が強まる兆候はありましたが、まだ比較的安定していた時代でした。大正13年6月には現在の上郷の地に待望の校舎が落成し、「渋女」の基礎ができあがりました。この間の事情は「渋女六十年誌」に詳しく書かれていますが、本校がその誕生においていかに地元の市町村当局並びに有志の方々にお世話になったかが分かります。本校の生徒、教職員はこのことを決して忘れることなく、地元と協力して学校の発展を図る義務があります。 その後、日本は、日中戦争、太平洋戦争、戦後の復興、高度経済成長、バブル崩壊等、激動の歴史を経験し、今日に至っています。 本校も、実科高等女学校、高等女学校、高等学校と、変遷を遂げて来ました。昭和23年には定時制が併設されましたが、昭和57年に廃止になりました。学年50名でスタートした生徒定員は、一時9学級423名まで増えましたが、現在は5学級200名となっています。そして、現在までの卒業生の総数は、24,431名です。 90年の歴史の中で、さまざまの伝統が形づくられ、受け継がれてきましたが、その中核をなすものは、「未来に向かって努力する姿勢」と「日々の生活を大切にする姿勢」の両立だと思います。昭和20年終戦後まもなく、当時の藤本菊二校長先生が定めた、「道理と真理へのたしかなあゆみ」と「勤労と趣味へのゆたかないとなみ」という二つの校訓も、このことを述べていると思います。現在も、渋女生は進路実現だけでなく、高校生活の一日一日を大切にしています。「受験教科だけでなく、全ての教科の学習を大切する」、また、「学校行事、部活動、ボランティア活動も大切にする」、つまり、バランスのとれた高校生活を正々堂々と送っています。それこそが全国に誇り得る「渋女の文化」だと私は思っています。 男女共同参画という流れのなかで、「女子校」の存在に疑問を投げかける人もいます。しかし、多くのスポーツは男女別々に行われています。スポーツの「方法」としてその方が効果的だからです。同様に、渋女の「男女別学」が教育の「方法」として効果的であるならば、渋女は末永く存続できるはずです。今回の記念式典は、10年後に100周年を控えていることもあり、学校、同窓会、PTAを中心とする学校関係者だけで祝う形にしました。100周年という大きな節目が必ず本校に訪れるし、訪れるように努力しなければならない、という深い確信と強い決意のもとに、このような記念式典としたことをご理解いただきたいと思います。 現在、在校生はほぼ全員が進学を希望し、平成21年度の現役合格率は98%、国公立大学合格者数は77名でした。社会状況が異なるので簡単には比較できませんが、いずれも過去最高の数字でした。部活動では、書道が全国学生書道展で14年連続優勝を継続しています。また、コーラス、放送、陸上、水泳、登山、スケートなどが県外コンクールや県外大会に出場しています。音楽系部活動の合同発表会である「ミュージック・フェスティバル」もここ渋川市民会館で毎年開催し、多くの方々から高い評価をいただいています。さらに、学校行事としては、開校記念の全校榛名登山、文化祭である「清苑祭」、体育祭、ダンス発表会という特色ある行事を開催しています。 このような本校の今ある姿は、90年の歴史のなかで磨き抜かれて存在しているのであり、教職員も生徒もその伝統を尊重し大切にしなければならないと考えています。同時に、多くの先達がそうしてきたように、新たな一歩を付け加える努力も怠ってはならないと思います。 現代は世界的にも国内的にも、課題の多い、多難な時代です。しかし、90年の歴史を振り返れば、戦中戦後の混乱期はもちろん、いずれの時代も多くの困難があったことが分かります。そもそも、教育の使命は現実の追認ではなく、理想の追求にあります。本校は今後も、社会に適応するだけでなく、課題を解決し未来を切りひらく人間を育てることを目標としていきます。 結びに、100周年に向けて、教職員、生徒とともに一日一日を大切にし、本校の充実発展に努めることをお誓いするとともに、同窓会員、PTAをはじめ関係者の皆様に引き続きご理解とご支援を賜りますことをお願い申し上げて式辞といたします。